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「これからのエリック・ホッファーのために- 在野研究者の生と心得」(荒木優太著、東京書籍)を読んで [読書感想]

「これからのエリック・ホッファーのために」(荒木優太 著、東京書籍)を読んで

 本書の副題は、「在野研究者の生と心得」となっています。この副題が気になって、読んでみました。
 著者は、1987年生まれで、清掃のパートタイム労働をしながら文学研究(専門は有島武郎)をされているとのことです。要するに、本書は、20歳代の在野の文学研究志向者が、過去の様々な在野研究者の生き方をコンパクトに紹介することによって、後進の在野研究者への応援歌としてまとめた書ということができるでしょう。あるいは、後進への応援・指南という形をとることによって、実は著者本人を勇気づけ、自分のポジションを確認したいという願望があったのかもしれません。
 ただ、一口に在野研究といっても、この書では、人文学・博物学分野の日本人研究者のみが紹介されていて、いわゆる理工学分野の研究者は全く紹介されていません。
 理工学・自然科学分野では(特に海外では)、少し前から既に、ガレージ研究やバイオパンクと表現されるような動きが始まっていて、研究者個人が、組織にこだわらず、ドライに組織を横断したり利用したりしながら、もっと柔軟で自由奔放かつパワフルに個研究を進み始めているような感じがしています。

 本書全般を通じて、初級者や中級者が初心者に指南しているかのような違和感や、やや気取ったような感じはありますが、日本の基礎的な分野での研究者の現状からみると、タイミングを上手くとらえてセンス良くまとめた書ということができるでしょう。

 本書のタイトルに出てくるエリック・ホッファーとは、ニューヨークで移民の子として生まれ、少年時代に10年間失明、そして突然の視覚回復、28歳時に自殺未遂というすさまじい経験を経て、その後、肉体労働をしながら、精力的な読書・思索・投稿を続け、独自の哲学を築き上げた在野研究の巨星ともいえる社会哲学者のようです。
 本書では、過去の在野の日本人研究者16名の生涯や業績の概要が紹介されていますが、この16名の研究者の生きざまが、一人一人とてもユニークで、実に魅力的に描かれています。

 例えば、
〇小学校卒で、完全ヒモを貫き通したあげく女子学生と心中した思想家(野村隈畔)、
〇東大卒で、出版社を退社した後、辺境地の調査を続け、日本人の神・自然観や魂の源流について新しい視点で考察した民俗学の巨人(谷川健一)、
〇納豆売りで生計を立てながら、日本初の旧石器時代遺跡を発見した考古学者(相沢忠洋)、
〇教員退職後、夫の援助を得ながら独自の女性史学を構築した愛と執念の女性研究者(高群逸枝)、
〇専業主婦をしながら、50歳過ぎから日本の祭事に興味を持ち、ユニークな視点で解析を続け、独自の民俗学を構築した超大器晩成型の女性民俗学者(吉野裕子)、
〇好奇心のままに自由奔放に研究を続けた生粋のナチュラリスト(南方熊楠)など・・・。

 その生きざまは、実に様々で、愉快さと凄まじさが入り混じって、感動的とさえいえるものです。

 この本を読んだ方々の中で、研究機関とはおおよそ程遠い環境にいながら、それでもなお自分のやりたい研究をやろうと志す方がいたなら、これらの先人のそれぞれユニークな生きざまを知ることで、多くの勇気や気づき、癒し、新しい発想を持つことができるでしょう。
 その点では、この本は大きく成功しているといえると思います。
 私も自分のことを在野研究者の端くれの一人だと思っていますが、最近、この著者と同じように、昔、決意したあの日の私が、今の私を見たらどう思うだろうか?と気になります。
 この本を読みながら、自分の過去のことを思い出し、共感する所も多く、私の愛読書の一つになりました。
 
 ただ、この本の独創性について述べるとなると、話は全く異なってきます。
 各先人の紹介の所々で、在野研究の心得なるものが打ち出されていますが、この心得一つ一つは、ありきたりで(もちろん大切なことには違いないのですが)、あくまで既存の建前論に過ぎないもののように思うのです。
 例えば、就職先はなるべく研究テーマと近い分野を探すべし、としながら、エリック・ホッファーやこの本で紹介されている多くの在野研究者は(著者自身も)、該当していません。
 また、家族の理解を得るべし、研究の手助けをしてくれる配偶者を探そう、とありますが、生涯独身の研究者も少なくありません。
 在野の巨人エリック・ホッファーは、いったいどの心得に該当しているのでしょうか?
 この心得をすべてクリアした在野研究者は実在するのでしょうか?
 
 在野研究の進め方一つでも、もっともっと自由奔放で独創的であって良いと、私は思います。
 確かに、エリック・ホッファーのように、研究活動自体で生計を立てることを拒絶し、研究と生計手段とをクリアに分けることで、より解決が近づく場合も(人も)あるでしょう。
 その一方で、研究活動自体で生計を立てていく自分なりの方法はないかとあがくことで、解決が近づく場合も(人も)あるでしょう。

 エリック・ホッファーは、72歳の時、シーラ女史のインタビューで、こう答えています。
 「私の言う仕事とは、生計を立てるためにする仕事のことではありません。
 われわれは仕事が意義あるものであるという考えを捨てなければなりません。
 この世の中に、万人に対して、充実感を与えられるような意義のある職業は存在していないのです。
 自分の仕事を意義深いものにしてくれと要求することは、人間の見当違いだとサンタヤは言いました。産業社会においては多くの職業が、それだけを仕上げても無意味だとわかっている仕事を 伴っているのです。
 そういうわけで、わたしは一日6時間、週五日以上働くべきではないと考えています。本当の生活が始まるのは、その後なのです。」

 確かに、万人に対して意義ある職業などというものは存在していないかもしれません。ただ、それは言い方を変えただけにすぎません。万人に対して全く意義の無い職業など存在しないのではないかと思うのです。ある組織、ある人にとって、ほんの一握りでも意義あることだからこそ、職業として成り立っているのではないでしょうか。
 エリック・ホッファーの言葉をそのまま借りれば、彼自身のいう本当の仕事の成果・著書は、本当に万人に対して意義ある書であるといいきれるでしょうか?

 社会哲学なるものが、今、目前の命を救おうと死力を尽くしている職業人に対して、この細胞の謎を解かんと自分の全知全能をかけ日夜実験を繰り返す研究者に対して、自らの遺伝の限界に挑まんと今日も堅いフロアに立つバレリーナに対して、自分に絶望しただ茫然と立ち尽くす経営者に対して、狂気と正常の間で彷徨い苦闘している人に対して、愛する我が子を失い地の底で慟哭する人に対して、未曽有の津波に立ち向かう人に対して、いったい何の意義があるというのでしょうか?

 故郷の母を想いながら子守をする娘から子守唄が生まれ、鯨捕りや材木運びからバラエティ溢れる愉快な唄が生まれたように、過酷な労働と同時にしか産まれえない創造・芸術・学問もあるでしょう。
 エリック・ホッファーのように、個人的な思索・研究活動と労働をクリアに分けていくことで解決が近づく場合も(人も)あるでしょう。その一方で、日々の労働を、個人的な思索・研究活動のユニークさの武器として積極的に組み込み、個人的な思索・研究活動自体で生計を立てていく自分なりの解決方法はないかとあがくことで解決が近づく場合も(人も)あるはずです。
 今、多くの在野研究者が、実は、後者こそを狙って、自分なりに様々な創意工夫をこらしているというのが、本当の姿ではないかと、私は思います(実は、著者自身もそうではないのでしょうか?)。

 今、知識人か労働者かと聞かれれば、ドラッカーの申し子の多くは、自らを知識労働者だと答えるでしょう。今、その活動は、生計のためか、本当の仕事のためかと聞かれても、その問い自体の意味を理解できない社会起業家も多いでしょう。企業の本質が、究極のところ、機能集団に過ぎないものだと後々痛感することになったとしても。
 エリック・ホッファーの前にも後にもエリック・ホッファーはないように、これからのエリック・ホッファーは、行く先々でどれだけ先人の偉大さを痛感しようとも、小さなエリック・ホッファー、小さな谷川健一、小さな南方熊楠を目指すべきではなく、その必要もないでしょう。
 在野の巨人の肩の上に立ち、自分と自分を取り巻く環境の中で自分なりに創意工夫し、時代の利器と風を受け、狂おしいほどの好奇心の翼で、自分の愛する学問や芸術や産業の世界を雄々しく飛び続けることによって、それぞれの独創の世界を自由奔放に創り上げていけばいいのではないでしょうか?
 全く未開拓の荒野に挑むことも面白いでしょうし、多くの先人達が群がる分野に真っ向から挑むことも面白いでしょう。結局の所、在野研究者が、研究対象に何を選び、どう進んでいくかは、自分が狂おしいほどに追い求めてしまう何かに従うしかないのだと思います(もちろん、その進め方には、職業研究者以上の戦略が必要になるでしょうけれども)。
 それこそが、今の職業研究者には難しく、在野研究者ならでは強みになるでしょう。

 ここでは、著者が紹介してくれている研究者に、エリック・ホッファーを加えた17名の在野研究者について、著者とは少し異なるやり方で、全員を貫く何かを探しながら、考えてみたいと思います。

①エリック・ホッファー:80歳。②三浦つとむ:78歳。③谷川健一:92歳。④相沢忠洋:61歳。⑤野村隈畔:38歳。⑥原田大六:68歳。⑦高群逸枝:70歳。⑧吉野裕子:91歳。⑨大槻憲二:86歳。⑩森銑三:89歳。⑪平岩米吉:88歳。⑫赤松啓介:91歳。⑬小坂修平:60歳。⑭三沢勝衛:53歳。⑮小室直樹:77歳。⑯南方熊楠:95歳。⑰橋本梧郎:95歳。
 
 これらの年齢が何を指すか、そうして何をお伝えしたいか、既にお気づきの方も多いと思います。
 上記の年齢は、各研究者が亡くなられた年齢です。
 いかにも過酷な生活かと想像されるにもかかわらず、女子学生と情死した野村隈畔を除き、皆さん、時代からすると異様に長生きです。
 在野で研究するには、タフな体でなければならないといえるでしょうか?
 確かに、在野で回り道をしながら、名を残すだけの仕事量をこなすためには、ある程度以上の時間の絶対量が必要なことも事実でしょう。
 それでも、自分の本当にやりたいことを、自分の好きなペースで、孤独だけれども自由にやり続ける時、そうしてそれがいつしか執念や使命感と重なる時、結果的に、人は心身ともに元気で長生きすることになるのかもしれません。
 もしそうなら、こういえるでしょう。

 心身ともに元気で長生きしたいなら、まず在野研究やろうぜ! 在野研究DESIRE !!
・・・
 これ位のふてぶてしさは欲しいものです。
 
 決して茶化しているわけではなく、この本で紹介されている全ての在野研究者に共通して感じるのは、そのふてぶてしいまでのバイタリティと独奏(独創)性です。それは、おそらく、労働や孤独な環境の中でこそ産まれたものでしょう。この本の中で著者が言う心得は、実は、研究を続ける上で、とても大切なものばかりです。特に、第一線の研究者による上質な査定や指導を受けながらの論文化はとても重要だと思います。しかし、その世界とて、多くの研究者のボランティア活動で、ぎりぎり維持されているに過ぎないのが現状なのです。
 次世代の在野研究者達には、既存のルールにおさまるのではなく、次世代に適したより新しいルールを創り出すことを期待したいと思うのです。
 著者はまだ若く、センスにあふれ、まだまだ大きな可能性を秘めていると思います。
 野の労働にまみれ、息を凝らしながら、深く深く自問自答を繰り返し、質問をぶつけ、討論をふっかけ、試行錯誤を繰り返していくことで、エリックホッファーを超え、過去の在野研究者を超えて、著者ならではの、独創の世界を築き上げることができるでしょう。

 いつの日か、この本の著者が、在野研究の偉大な星として輝き始めることを期待して、文を終えたいと思います。「これからの荒木優太のために」。

 在野研究DESIRE !! ふーむ、我ながら、上手い(もしかすると、寒いかも)。

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